熱く生きることは難しい.多分それは”熱”く生きるというその言葉が物語っている.
世の中に冷めないものは無い.僕やあなたの情熱は他の人よりも温度が高いかもしれないが,それはやがてまわりと同じ温度へと冷えて安定する.熱力学第一法則に基づく永久機関の否定のように,人間の情熱もいずれ止まるものなのだろう.
僕は熱く生きたい,もっと熱くなりたい.昨日の自分より常に今日の自分の方が熱い人間でありたい.どうすればいいだろうか.
物理法則に基づいて情熱を保つ方法を2つ考えると,1つは周囲に一切の仕事を行わないことだ.宇宙空間を永遠に等速直線運動する彗星のように,乾いた惑星が永遠に自転するように.これは人間に置き換えるなら,無人島で死ぬまで過ごすことだろうか,あるいは他人との接触を断絶し部屋に籠り一日中インターネットをして過ごすことだろうか.そうだとしても誰も彼の情熱を知ることはないし,当然僕の望む熱い生き方にはほど遠い.
冷めないもう1つの方法は外から仕事を受けることだ.電子レンジに入れた水は魔法で温かくなるわけではない.加えられた仕事(マイクロ波)が水を振動させて摩擦で温まるのだ.人間に置き換えるとこれは一体何を意味するだろうか.
大学院生としてアメリカに戻ってきてから1年と4ヶ月がたった.パデュー大学にいたころを足すとアメリカも3年目である.ジョークの質が少しアメリカっぽくなり,体型は大分アメリカっぽくなった.数年前に「鳥人間コンテストの東北大パイロットが熱すぎるwww」とお騒がせした僕ではあるが,情熱が冷めたのかと考える場面もある.先日,あるきっかけで自分の情熱について考える機会があったので,今回はそのことを中心に書きたい.
少し僕の大学について書く.僕の所属するジョージア工科大学はアトランタの中心近くに位置する.ダウンタウンと呼ばれるエリアまでは数ブロック,歩いて20分程度だろう.ダウンタウンから少し北側に位置するここはダウンタウンと呼ばれずミッドタウンと呼ばれる.アトランタ付近は北に行くほど高級住宅地のエリアになり,ミッドタウンも少し高い.
キャンパスのあたりで大きな国道がクロスしていて,夕方4時から6時頃までは渋滞がひどい.片道8車線ある道路がびっしりと車で埋まる.アメリカの運転で身に付けた能力の一つは,この超マルチ車線をいかに高速で車線変更し目的地にたどり着くか,と言ったところか.ラッシュ時の渋滞を避けて1時間ぐらい後でオフィスを出ても家に着く時間はほとんど変わらないと思うのだが,アメリカ人の同僚などは意地でも5時に帰る.そして夜のオフィスはアジア化する.日本だけでなく,残業にまみれてワーカホリックになるのはアジア人の宿命なのだろう.
そんなアジア人しかいないオフィスを出ると,夜のキャンパスは驚くほどきれいだ.噴水はライトアップされ,奇麗に整えられた芝には自動で水がまかれ,犬の散歩をしている人や手をつないだカップルが歩いている.キャンパスでいちゃついているカップルはなかなかのカルチャーショックであったが,僕も彼女がアトランタに来た時いちゃついてキャンパスを歩いていたのでショックを与える側になってしまった.オタクばかりのキャンパスなので可愛い彼女を自慢したくなるのは仕方の無いことだ.ちなみにアトランタはコカコーラ発祥の地で,コカコーラの本社は写真にも写っている通り大学のすぐ隣に建っている.
大学の環境はかなり満足している.研究で使うものは何でも買ってもらえるし,給料はもらえるし,Vicon Roomと言う3次元トラッキングができる部屋も週に1回は僕の貸し切りにできるし同僚は優秀な人ばかりだ.もちろん金をもらっているだけの成果を求められるし,博士課程と言えどもアメリカの授業は重く,いい成績を維持するのに毎日必死だ.
トップスクールだけあって,大学には毎週のように大物のゲストが講演にくる.宇宙飛行士,SpaceX, Virgin Galactic, NASAなど,日本にいてはそうそう話を聞く機会などないであろう面白い人達が講演に来る.ジョージア工科大学の卒業生は現在,マサチューセッツ工科大学の卒業生の数を抜きNASAの従業員の最大勢力だ.NASAのJPLが毎学期就活のインタビューに出向いてくるのはなんだかんだ嬉しい.
しかし,ちょっとした変化に気づいてしまった.
NASAの人の講演など,入学当時は鼻血が出るほど興奮し,心が躍る気持ちで聴きに行ったものだ.「NASAの人が講演に来る,就活に来る.俺はまた一歩NASAに近づいたんだ」などと考えていただろうか.一番前の席に座ってかじり付くように講演を聴き,何か質問してやろうと機会を伺って,セミナーが終われば必ず話しかけに行ったものだ.ただ,いつの間にか講演にもほとんど行かなくなった.自分の専門分野のロボット系の人なら行くかな,ぐらいである.どうせ来月も何か来るだろうとか考えているうちにセミナーに顔を出す機会は少なくなっていった.
僕は冷めてしまったのだろうか?
熱さを絶対的に計るのは難しいが,相対的に計るのは簡単だ.自分より熱いものは熱く感じるし,冷たいものは冷たく感じる.誰かの体温を測る時に自分と相手の額をくっつけるようなものだ.しかし,実は2人とも熱を出していては異常なのがどっちなのかは分からない.僕の違和感を,僕が冷めたという理由以外で説明するなら恐らくこれだろう.多分周りも熱いのだ.そして,生半可な熱さの人では,くだらない(冷たく感じる)と思うことはなくても刺激的(熱く感じる)に思うことは無くなったということかもしれない.
ここで,最初に書いた熱く生きるもう一つの方法に戻る.周りから仕事を受けること.人間に置き換えるとこれは一体何を意味するのか.簡単だ.熱い人に囲まれて生きること.あなたの情熱を刺激してくれる人間の中で生き続けること.あなたはもっと熱くなれる.しかし,残念ながら上に書いた論理で説明するなら根本的な解決にはなっていない.自分が1番熱くなったら結局誰かに情熱を持っていかれるのだから.あなたが突出することは永遠にない.
そして当然,このように情熱を燃やす努力をし続けていてもいずれ冷めるのだから,普通に生きていては情熱などあっという間に冷める.情熱に駆り立てられて始めた仕事に興味を失うように.絵を描くことが,ドラムを叩くことが,走ることが,プログラミングをすることが,人の命を救うことが,いつの間にかただの生きる術に成り下がるように,いつの間にか仕事以外でそれに触れることもなくなるように.
だから人間はゼロからスタートすることを選んだのだろう.獲得形質遺伝(人間が生まれた後で身に付けた能力が遺伝するという進化論の一説,現在信じている人はほとんどいないだろう)では,情熱が地球から消えてしまうから.せめてこの冷えきった情熱を息子には渡さないように.後の世界には渡さないようにと.故に子供は皆,好奇心の塊として生まれ,情熱を周囲に振りまいて生きる.僕のように,自分だけ熱くなり続けようという人間は,ある種この人類最大の進化に対する突然変異とも言える.
僕の夢は今もまだ燃えているだろうか?答えはまだ分からないが,もしも将来子供が生まれたら勝負してみることにしよう.彼に熱い親父だと思ってもらえれば,僕はまだ燃えているのだろう.
永遠に熱く生きるにはどうすればいいのか?今日に答えは無いが,自分よりも熱いと思う場所がある限りそこに飛び込んで彼らのエネルギーを吸い取って生きてやろうと思う.
NASAのセミナーのチラシを見ながらそんなことを思う留学生活である.
24 Comments
Leave a reply →