中村拓磨 × Takuma Nakamura

へぼパイロット奮闘記.いいね!いい人生だよ!

社会に愛されて生きる

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アメリカに帰ってきてから3ヶ月が経った.これが3回目の長期滞在だが,南部は初めてということもあり色々と発見が多い.デトロイド,シカゴに次いで全米で3番目に治安が悪いと言われるアトランタだが,キャンパスの付近に居る限りは至って平和だ.今学期は授業,研究に忙しくてほとんど出歩けていないが,冬休みは少し観光をしようかと思っているので街の様子は年明けにでも書くことにしよう.まだ「アトランタとはこういうものだ!」「アメリカの大学院とはこういうものだ!」と偉そうに書けるほど経験してないので,今回のブログは最初の3ヶ月の生活の様子と感想を中心に書こうかと.

普段は大抵研究室と家の往復で終わる.たまに近所の空港に飛行機の操縦をしに出かけ,ラジコンを公園に飛ばしに行き,ジムに泳ぎに行く.アトランタは夜景が奇麗だし,公園は十分な広さがあって芝生なのでラジコンを飛ばすにはいい環境.ジムのプールはアトランタオリンピックで使われたかなりいいプール.そんなわけで,学部のころに比べると単調な生活ではあるが満足している.


セスナ172からのダウンタウン


ジムのプール

キャンパスの空撮,フルパワーだぜぇ,信じらんねぇ!(音量注意)

僕はUAV Research Facilityという研究室で無人航空機の研究をしている.この3ヶ月はUAVの経路設計に必要なモデルを作っていた.先週のミーティングでそこそこまとまった成果を報告して,そこそこ満足してもらえたかと思う.研究室をクビになることはなさそうだ.ちなみにNickという学部生が教授に雇われて(と言っても学部生は基本的にお金をもらうのではなく単位をもらうのだが)僕の下で働いてくれている.僕の作ったシミュレーションでせっせとパラメータを変えてデータを取ってきてくれる.ざっくりいうと雑用である.Nickと僕は同い年だが学部生とPh.Dの扱いの差は,アメリカでは日本以上に大きい気もする.逆にマスターと学部生の壁が薄い感じだろうか.まぁ学部生は基本的にデスクもないし,研究室の鍵ももらえないし,研究室のネットワークも使えないからできることが限られるのは仕方がないが.

なおうちの研究室のボスは,同じく航空宇宙工学の教授と結婚している.夫婦共に教授で同じ研究分野.おまけに共にMITの卒業生だ.僕は子供のころによく両親がアホすぎて呆れたものだが,両親が共にMITの卒業生でGeorgia Techの教授とかそれはそれで嫌な気もする,などとふと思った.写真はthanksgivingで教授宅にディナーに呼ばれたときのもの.写真で見るよりかなり迫力のあるターキーだった.

研究室はだいたい予想通りの環境である.日本に居た時の研究室と比べれば人間関係は少しドライではあるが,ラボメイトのDefense (最終審査) が終わったり,自分の国に帰るなどと言った時は近くのバーに歩いて行って軽く飲む.アメリカの研究室は基本的には雇用なので,成果が出せないとクビになる.どの研究室はよく追い出されるとか,この研究室は忙しすぎる,などと言ったことがまとめられた掲示板が作られて研究室を探している学部生やマスターの学生がよく質問している.僕も数週間前に掲示板に招待されて一応登録してある.探す側には回りたくないものだ.

こちらでPh.Dの学生をはじめてうっすらと感じるのは,Ph.Dの学生でいることが意外と快適な点だろうか.キャンパスの中はもちろん,友人とパーティに行っても銀行にアカウントを作りに行っても,なーんとなく会話から尊敬してもらってる感じがすること.ジョージア工科大の航空宇宙工学ということもあるんだろうが.”It’s rocket science” (理解が難しいもの)という英語の表現もあるぐらいなので,航空宇宙とはこちらの人にとって訳の分からないもの,という理解なのだろう.なにはともあれ尊敬してもらって悪い気はしない.

日本の博士に行っていたらどうだっただろう?とふと思う.日本で博士課程の学生をやっていた訳ではないので正確な比較はできない.しかし,日本の友人に「博士課程に進学するんだ!」と報告して回った時の反応と,先輩達の話から僕が感じるのは,日本の博士課程に進学していても,周りからの評価という点ではここまで快適ではなかったかなと思う.就職に失敗した人の受け皿として使われているだとか,親のスネかじって10年も大学生やってるだとか,印象がよくないことを多く聞くのは僕だけじゃないんじゃないかな.博士が100人いる村という動画が少し前にはやったが,ここまで悪意に溢れていないにしても世間で言う博士って多少似た評価なんじゃないだろうか.

日本でもアメリカでも,博士の学生がやってることは同等に意義があり,誰でもやれることではないと思うのだが.どうせ同じぐらい苦労して生きていくなら,世間から尊敬されて生きていたいものだ,と思った.ただ一方で,教授や医者や良い大学,に対する尊敬や憧れというのは日本に居た時の方が強く感じる.世界ランク27位,54位の東大,京大が,Top universities by reputation (世評,名声のランク) ではそれぞれ世界9位,23位まで上がってくるところからしても,日本ってのは高学歴に対する尊敬はかなり強い社会なんじゃないかと思うんだけどな.なんで博士が尊敬されない社会なんだろうね.

アメリカは日本以上の学歴社会だと言われるが,今のところまだそこまで違いは伝わってはこない.ただ,会社の上位層や軍のお偉いさんがやたらとPh.D持ってるのは少し日本人としては違和感かな?僕の印象だと日本の会社ってのは学部卒の東大や早稲田や慶応の文系の人らが率いてるイメージだったから.それも含めてPh.Dが多方面で評価される文化なのだろうか.博士の学生でいる快適さはこの辺りの評価からくるものかもしれない.

話は少しそれるが,博士課程の評価に加えて,似たような感想をもったのが「ゆとり」と「英語」だ.なんとなく失敗作扱いのゆとり世代.平均的に馬鹿になったのは事実だろうし,平均的にやる気と気合いが足りないのも感じるが,当然やる気に満ちあふれた優秀な人はいる.英語に対しても同様の感想を持ったのは「理系は英語が出来ない,文系は数学ができない」といったことをよく聞いてここまで育ってきたのを思い出したからだ.大抵の文系の人間より英語が出来た僕にとって「理系だから英語できないんでしょ?」と言われることは不愉快以外のなにものでもなかったが,数学のできる文系も同様に不愉快だったのだろう.

社会からどう思われようが自分の人生なので,大切なものの最終的な決断に効いてくることは稀だろう.四六時中バットを振って甲子園に行くことを夢見てる高校球児が,野球をやってるとお尻が大きくなってスタイリッシュなパンツが履けなくなってダサいよ,と言われて野球をやめるだろうか.僕にとって,博士課程は就職が厳しいだの,給料が低いだの,競争が激しいだのと,多少の誇張と悪意を込めて周りに言われてきたことは,タイトなジーンズに体をねじ込めなくなる程度のことであった.周りがどう思おうが自分の目標を達成するために博士が必要なら行くしかないと.

日本の博士課程にも優秀な友人や先輩を多く知っている.共にアメリカの大学院への留学を目指した友人達や,東北大で所属していた研究室の先輩達は,特に優秀な人たちであった.研究で成果をあげ,厳しい倍率の研究費を勝ち取って,自分で生計を立てていた.彼らにとっては的外れな,社会からの評価はどう映るのだろうか.

ゆとりだから馬鹿だとか努力しないだとか優秀な努力家に向かって堂々と言う人の気が知れない.「博士課程に行くなんて親が金持ちでいいね」なんて言われると,倍率の高い入学試験をパスして厳しい審査を通って給料をもらって生活するPh.D候補生は「まぁ俺は違うけどね」と言いたいところだろう.なぜ理系だからということで,文系だからということで,英語ができない,数学ができないとレッテルを貼られなきゃいけないのか.正統な評価をしてもらえる場所へ行きたいと思うのは至って普通の考えな気がする.

僕がアメリカを目指したのは前回のアメリカの大学院へ行くに書いたような動機からだ.アメリカに憧れ,航空宇宙工学に夢描いてここまで辿り着いた.ただ,ひねくれものの僕は,なんとなく日本の博士に対する評価とか,自分の世代に対する評価とか,英語話せないんだろ?とかいう声が気に入らなくて,多少反発する気分で日本から離れたのかもしれない.他人が用意した名刺を配って生きていく訳でもないし,タイトなジーンズが履けなければそれでもいいのだが,社会からも認められて生きていけるなら,その方が満足だろう.みんな社会に愛されて生きていたいものだと思う.

そんなことをたまに考えたりする南部での3ヶ月であった.これからも新しい発見をすることに胸を膨らませている.

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