中村拓磨 × Takuma Nakamura

へぼパイロット奮闘記.いいね!いい人生だよ!

メモ2

  • December 19 2005, Grumman G-73T Mallard, Chalk’s Ocean Airways Flight 101
    • 離陸直後に右翼がちぎれて墜落.全員死亡.実際の航空機で翼が完全に切断される珍しいケース.そもそも構造的な欠陥で物理的にぶっ壊れて墜落ってあまりないのでは.(鳥人間とか大抵そうだけど.)Seaplaneなので船っぽく右翼がstarboard wingとか書いてある.左翼はport wing. 右翼の根元近くのz-stringer (スパン方向に入れられているリブとリブをつなぐ支柱のはず)が破損していて翼に過剰な荷重がかかっている状態が放ったらかしに.翼にはクラックも入っていた.翼のクラックが広がるのを止めるstop drill hole (真円の穴をクラックの端に空けることによって応力集中を避けクラックをとめる.)が見つかったり,そのクラックの上からパッチが当てられていたりした.クラックが走っているので燃料漏れも繰り返していたが,内側から燃料漏れの化学薬品を注入するだけで根本的にクラックが修理されることはなかった.同エアーラインの飛行機は全てひどいcorrosionにおかされていて,飛行機の整備は正しく行われていたとは言えない状態だった.古い飛行機はFAAの基準でより丁寧に整備されることになっているが,ある一定より古い飛行機はこの規定を免除されていた.この事故の前にも,エンジンが止まったりエレベータワイヤーが飛行中に切れたりと,整備不良は慢性的だった模様.
  • September 1 1983, Boeing 747, Korean Air Lines Flight 007, Sakhalin island, Soviet Union
    • 意図せずソ連領海へ侵入した民間機をソ連の戦闘機が撃墜.民間機はautopilotをheading modeからINS modeへ切り替えるのを忘れていたため,離陸後からずっと一定のheadingで飛行.予定コースよりも北へ逸れて,ソ連領海に侵入.戦闘機が後ろから接近した際に不運にもFLを上げるタイミングだったため,戦闘機のパイロットがこれをevasive maneuverだと判断し撃墜.なお当時は,実際にアメリカの偵察機がソ連領海付近を飛んでいたため,ソ連側は誤解した.ソ連領海近くを通るこのR-20のairwayはもっとも注意するべきairwayとして知られていた.当時のレーダーでは管制塔側(東京)は太平洋の真ん中を飛ぶ飛行機の位置を知ることはできなかったため,パイロットの報告する位置情報に基づいて管制していたらしい.なので,東京サイドは実際に007がどこを飛んでいるかを知ることはできなかった.同じairwayにいる他の飛行機と交信し風向きの情報が違うことからパイロットが航路を逸れていることに気づく余地はあった.当時のINSは1時間で0.5マイルほどしかずれないほど正確であった.
  • June 1 1999, McDonnell Douglas MD-82, American Airlines Flight 1420, Little Rock, Arkansas, USA
    • 悪天候の中着陸.滑走路が雨で濡れていたため左へスリップするもブレーキが効かずオーバーラン.11人死亡,生存者多数.当時視界は1SMを下回っており強いgustも発生していた.当時パイロットは気象状況のアップデートをATCを通じて得るのが一般的であったが,この事故を機にパイロットが直接天気を得られるシステムの開発が進められたらしい.(ADS-B的な?)
  • June 24 1982, Boeing 747, British Airways Flight 9, Indonesia
    • 噴火した火山灰の中を突っ切りエンジン4機全て停止.エンジンを止め,高度を下げたことにより,付着した火山灰が剥がれエンジンは再始動.ジャカルタへ緊急着陸した.火山灰は1500度近くで溶け始めるが,エンジンの内部はこれ以上の温度であった.溶けてガラス質になった火山灰がエンジンに付着し空気が正常に流れなくなった.なお,火山灰は煙突の上からでてくる煙などとは根本的に異なり,細かく硬い灰である.harm’s wayは危ない場所,シチュエーションの意.
  • August 22 1985, Boeing 737, British Airtours Flight 28M, Manchester Airport, England
    • エンジン左翼のcombustorが破裂し,エンジンの部品の一部が左翼下部を損傷.漏れだした燃料がエンジンにかかり大炎上.離陸前に起きた事故にもかかわらず避難が遅れたため乗客の半数近くが死亡.当時,火災が発生した際の炎については研究が進んでいたが,煙についてはあまり研究が進んでいなかった.シートカバーやプラスチックが燃えることで発生した有毒ガス,及び一酸化炭素を吸い込むことで多くの乗客が死亡.また,パイロットが火災発生の左翼をup-wind側にして停めたため煙が機内に入りやすい状態となった.この事故後に火災発生時の人の行動が研究され,出口や通路の幅が広げられたりした.747は90秒で乗客が全員脱出できるようになっているらしい.smoke hood(煙を吸い込むのを避けるために頭からかぶるフード) についても研究されて,煙が発生した際の延命につながることは間違いないとの結論に至ったが,装着が難しい装置を乗客につけさせるよりは早く脱出させた方がいいということで,乗客全員分のsmoke hoodが備えられていることはほとんどないらしい.ちなみに1985年は,Air Indiaの爆破テロ,日本航空の墜落,ダラスでのマイクロバーストでの墜落など大量の乗客が死亡する事故が相次いでいて,航空機史上最悪の年である.(911は除く)
  • August 16 1987, McDonnell Douglas MD-82, Northwest Airlines Flight 255, Detroit, Michigan, USA
    • FlapとSlatを設定し忘れた飛行機が離陸直後に墜落.4歳の少女を除く乗員全員死亡.悪天候や滑走路の変更に気を取られたパイロットがtaxi checklistをすっ飛ばす.その後,NASA Amesの協力(ロケットを飛ばす際もチェックリストは大事)などを得て,効率的で安全なchecklistの研究を進めた.なお,パイロットはtake-off warningの警報が苛々するということで一部のcircuit breakerを引っ張っていた可能性も有る.そのため,2つのスピーカーから聞こえるはずの警報が片側からしか聞こえなかった.本来stallの警報は2つのスピーカから聞こえるためstall-allとかぶさってきこえるらしい.blackbox (実際はオレンジ) のデータ,切断された歳のワイヤーの位置からもflap, slatが使われていなかったことが確認された.
  • March 10 1989, Fokker F28, Air Ontario Flight 1363, Dryden Ontario, Canada
    • 翼に氷や雪が残っている状態で離陸.十分な揚力を得られずに離陸直後に墜落.乗員の半数程度が死亡.F28は比較的翼の上の氷や雪の影響を受けやすい機体であった.機長も翼の上の氷を気にしている様子があったそうだ(Deiceのサービスについて尋ねたり,エアーラインに電話していた).機体のAPUが故障していたのと,外部から電源を引っ張ってこれない空港であったため,一度エンジンを切るとエンジン再始動が困難な状況であった.そのため,給油も片方のエンジンを起動したままで行われた.(hot refuelと呼ばれる,これ自体はレギュレーションに違反しない.)しかし,氷を取り除く液体 (当時はtype 1 deicing fluid) を使用するにはエンジンを止める必要があったため,氷を取り除けなかったと推測される.翼についていたヒーターはleading edgeのみを温めるものだったらしい.墜落はAPU故障の状況で実質離陸を迫ったエアライン側の責任とされる.なお,実際はdeiceを行えていたとしても,type 1の効果は15分ほどで,1363機の離陸直前にCessna 150が着陸しており,離陸する頃には氷が被さっていた可能性が有る.その後開発されたtype 2は45分ほど,type 4は2時間ほど効力を発揮する.液体は粘性があり翼の表面を覆うが,離陸直前の加速で落とされるように設計されている.雪や氷で翼が正常に使えない状態もcontamination(汚染) と表現するようだ.無線で”dispatch”と呼んでいるが,これはグラウンドサービス全般を呼ぶときに使える模様? square oneとは振り出し,の意.
  • March 22, 1992, Fokker F28, USAir Flight 405, LaGuardia Airport, Newyork, USA
    • 上述のDrydenの事故と同様に氷が乗った状態で離陸.乗員の半数程度死亡.パイロットはコックピットから氷の状態を確認しただけだった.Drydenの事故報告書はFAAに届いておらず,全く同じような事故が起こってしまった.この事故の後,コックピットからだけでなくキャビンからの氷の状況の目視確認,ゲートだけでなく滑走路でのdeiceサービス,deiceから離陸までの時間の計測などのルールが追加された.F28はその後も使われたが,比較的暖かい地方のみの利用となった.
  • June 26 1988, Airbus A320, Air France Flight 296, Mulhouse, France
    • エアーショウの際に高度を落としすぎ,低速すぎ,ピッチ上げすぎで森に墜落.ただし,パイロットのエラーに繋がる要因が多かったことも事実.なおパイロットは当時最新鋭の飛行機であるA320の欠陥であることを隠すためにパイロットのエラーにしたてあげられたとも主張している.フライトデータと管制塔側のデータの不一致や,裁判に持ちだされたblackboxと機内に実際に載っていたblackboxが違ったなどの主張が有る.エンジンのレスポンスが悪かったのはalpha-max (flap, low throttle, pitch up, slow flight) の操作によりエンジンへのair flowが遅かったため正常なジェットエンジンのリアクションだったとされている.録音されたジェットエンジンの音声からRPMを割り出し,規定値通りのthrustが出ていたとされている.パイロットがエレベータをアップに切り森へ突っ込むのを防ごうとしたにもかかわらずエレベータは実際はダウンにきられておりシステムエラーが疑われたが,これは失速を防ぐための動作 (stall protection, alpha protection) であり, 仮にシステムがエレベータをダウンにしてなくても失速して森に突っ込んでいたと考えられている.(実はパイロットの感覚の方がコンピュータより洗練されていて,まだストールしないタイミングでautopilotがダウンにきって墜落したとかないのかな?) なおA320はwide bodyの民間機に初めてfly-by-wire (パイロットのyokeの入力は電気信号に変換され, 実際の操縦は電気信号で操作,ワイヤーやロッドなどが直接パイロットのyokeと繋がっていない.油圧の補助があったとしてもA320以前のものは繋がっていた.) を用いた航空機でありautopilotのエラーも疑われた.実際fly-by-wireはパイロットの入力が危険だと判断すればオーバライトもできる.
  • June 30, 1956, Douglas DC-7 & Lockheed L-1049 (Super Constellation), Grand Canyon, Arizona, USA
    • グランドキャニオン上空で2機の航空機が衝突.全員死亡.当時の管制は非常に限定的なものであり, 基本的には”see and avoid”で衝突回避されていたが航空機がより速く飛ぶようになりこの方法には限界が来ていた.この事故を機に,後にFederal Aviation Administration (現在のFAA) となるFederal Aviation Agencyを作った.航空法は全面的に見なおされ,アメリカの飛行機の歴史の大きなターニングポイントの一つ.
  • January 25 1990, Boeing 707, Avianca Flight 52, Newyork, JFK, USA
    • JFK着陸予定機が燃料切れにより墜落.当時は悪天候で多くの飛行機が着陸待ちでholdingしていた.燃料切れが近いことを管制に伝え,priorityはもらっていたがemergencyの宣言はしていなかった. (Aeronautical Information Manual 5-5-15によると”Priority may be issued when declaring an emergency, not when declaring minimum fuel.” とあるんだが,priorityはemergencyなしでもらえるのかな?) なお,管制が引きづがれた際,担当していた管制官は燃料の残りが少ないことを伝えられていなかった.着陸許可は出ていたが悪天候のためapproachに失敗.一度高度を上げやり直そうとしたが燃料はもうなかった.なお,機長は英語を理解しておらずfirst officerがcommunicationを担当していた.現在の管制システムの限界,欠陥を語るときによく用いられる例かと思う.
  • September 29 2006, Boeing 737 & Embraer Legacy 600, Brazil
    • 空中衝突.737は墜落して全員死亡,Legacyは無事着陸.Legacy側のフライトプランではFL370で飛行し,途中FL360へ降下するはずだったが,transponderを正常に作動させていなかった(恐らくALTモードになってなかった?位置だけ.)のと無線での通信ができていなかったため,高度は変更されることなくFL370のまま飛行.衝突.管制側は連絡が取れていなかったが,正常な高度で飛行していると仮定してした.この事故の影響だけではないが,管制なしでパイロット同士が回避運動をとれるようにFAAのWilliam J. Hughes CenterADS-B (NextGen) を開発.
  • January 20 1992, Airbus A320, Air Inter Flight 148, Strasbourg, France
    • 滑走路から12マイルほど離れた山に激突,墜落.生存者あり.墜落原因はパイロットのミス,オートパイロットのインターフェイス,不慣れな機体の操縦,及び管制の不適切な指示などいくつかある.パイロットは本来3.3度のglide slopeをオートパイロットに指定したが,実際は3300fmpでの降下を入力していたと推測される.同じ画面の同じ位置に表示されるインターフェイスだった故のミスだったと推定される.(FPA, Flight Path Angle, と VIS, Vertical Indicated Speedの表示は出ていたはずだが.) なお,墜落はしなかったが全く同じ入力ミスが他の機体でも発生している.この事故後,3300ftmでの降下は’33’ではなく’33oo’と表示されるようになった.また,StrasbourgでのILS部分的に使えず,non-precision approachだったとされる. (VOR/DMEかな?glide slopeなしでhorizontal alignmentのみ.) 管制のミスとしては,leftやrightと言った単語を用い,レーダーの画面上の左右とパイロットから見た左右を間違えたとされている.ただし,これらだけでは墜落まではしなかったとされている.墜落した際,autopilotは急降下に加え,瞬間的に入ったgustによって一時上昇した際,「緊急事態の際には機体のvertical speedの倍を逆方向にしたものをターゲットとする」というアルゴリズムにより,さらに加速的に降下したと考えられる. 多くの機体にはGround Proximity Warning System (GPWS), というLaser Altimeterがそなわっていて,AGLが低い時には警報を鳴らすが,当時のLaser Altimeterは高速領域ではfalse positiveが多く,他のエアーラインよりも速く(そして低く)飛ぶことが多いAir Interでは警報がなりすぎるということで取り付けられていなかった.なお,事故直後フライトデータの書き換えを防ぐため,NTSBを含め事故調査委員達はblackboxを回収できないでいた.回収された際には火災の中放置されたためデータは大部分が破損していた. (2000F度で30分耐えられるはずだがそれを超える時間放置された.)そのため,コックピット下にあるQuick Access Recorder (QAR) (緊急事態以外にもデータ解析に使う,現在のものはUSBなどで通信可能.)を解析した.ただし,こちらも損傷しており通常の方法では読み取り不能であった.そのため,Garnet Techniqueという実験的な手法が用いられた.これはGarnetとというミネラルでできたレンズを通してテープに光を当てることで,保存されているmagnetic pulseがpositiveかnegativeかをvisualizeすることができる.この信号を一ビットずつ顕微鏡を通して数えていくことでbinary信号を読み取り,その信号をフライトデータに変換することでデータを復元した.1秒復元するのに1日かかったという.
  • February 1 1991, Boeing 737 & Fairchild Swearingen Metroliner, LAX, USA
    • 管制のミスにより,clearanceをもらっていたBoeing 737がプロペラ機が滑走路にいるにもかかわらず着陸,着陸後衝突し,737が覆いかぶさるようにして炎上.プロペラ機側は12人全員死亡,737も死者多数.管制を担当していたRobin Lee Wascherは管制の仕事を去った.ただし,LAXはもともとrunway incursionが高確率で発生しており,毎年2桁台のrunway incursionが発生している.事故当日はsurface movement radar (a.k.a. ground radar, surface radar, ground movement radar, and airport surface detection equipment (ASDE)) が故障しており,管制官の負担は大きかった.この事故後,runway上ではnav lightとbeaconだけでは飛行機がほとんど見えないという実験結果を得て,runway上では全てのライトを点灯させることが義務付けられた.また,runwayが離着陸に使われている際に地上の飛行機やground vehicleに危険を伝えるため,runway status lightも開発された.これは自動でrunway上のライトの色を変えてpilotやdriverに危険を伝える.2017年現在,アメリカの20ほどの空港で使われている.
  • August 16 2005, McDonnel Douglas MD-82, West Caribbean Airways Flight 708,  Venezuela, close to Colombia boarder
    • 限界ギリギリの重量で飛んでいた機体はanti-ice heaterを使ったことでエンジンの出力が足りなくなり失速.その後の失速回復処理も不適切だったため墜落.全員死亡.West Caribbean Airwaysはたびたび重量オーバーで飛行していたことが報告されている.このエアラインは経済的に困窮しており,パイロットには長期間給料が払われておらず,機長はバーで復職をしていた.事故当日も,機体に積み込む燃料が購入できずにboardingが2時間ほど遅れていた.anti-ice heaterを使った際のエンジン出力の補正をパイロットがWeight & Balanceに入れていなかったと考えられている.autopilot側の問題としては,出力が十分でない際にalt holdを行った場合いずれ失速するが,autopilotのdisengageには多少のdecayが発生しうることが事故以前に報告されていた.フライトデータの一部損傷もあって事故原因の解明は当初難航し,fuel contamination, 悪天候によるengine flame out (激しい降水, turbulanceによってジェットエンジンはflame outし得る.)が疑われたが問題なかった.(機長がengine flame outと誤解しATCにflame outと伝えたことからエンジンの問題が徹底的に調べられた.エンジンの出力が正常であったかを知る重要なパラメータであるEngine Pressure Ratio (EPR) も損傷していたため難航. EPRはコンプレッサーに入る空気の圧力とexhastから出る圧力を計測, out/inがEPRとなり,一般的にはこの値が大きいほど出力が大きいということになる.)また,ベネズエラ側がアメリカを信用しなかったことからblackboxの解析はフランスで行われた.多くの事故でパイロットエラーはエアラインの経済的困窮から来ていて,お金に困っていそうなエアラインには乗るなって印象.
  • July 17 2007, Airbus A320, TAM Airlines Flight 3054, Sao Paulo, Brazil
    • 濡れた滑走路に侵入した機体がオーバーラン.機内全員死亡,地上も死者あり.主な事故原因はパイロットの操作ミス.機体は#2エンジン(右)のthrust reverserが故障しており#1 (左) エンジンのthrust reverserしか使えない状態であった.機長が誤って右エンジンの出力をアイドルにせず左エンジンのみ逆噴射したため減速が十分にできず,かつ機体は左にそれて墜落.当初はAFU (Artificial Feel Unit, Artificial Feel Systemともいう.PCU (Power Control Units) 搭載の飛行機ではパイロットがコントロールから感知できる力のフィードバックがないため,パイロットに正しい感覚を伝えるためにaerodynamic forceに比例した力を人工的に操縦桿などに加えること.)の故障が疑われたが正常であった.事故のあった空港はそもそも滑走路が短い上に街に囲まれており危険な空港で,たびたび事故を起こしていた.滑走路の短さと着陸の難易度から”aircraft carrier”と呼ばれていたという.事故のあった滑走路は数週間前にresurfaceしたばかりで,次の週にgrooves (排水口)の取り付けが予定されていた.事故当時はまだ取り付けられておらず水はけは非常に悪くhydroplaningが起こりやすい状況であった.事故後,この滑走路は全てのreverserが正常でない場合は着陸が禁止された.